誰しもがこの世界とお別れする時が来る。
本当は、当たり前のことなのだけど、
普段はあまり身近に感じることはないかもしれません。
あなただったら、どんな姿で残されたあの人と一緒に居たいと思いますか?
本人にとっても、家族にとっても、納得できる
最高の遺影写真を撮りたい!
家族の一日を追いかけたルポルタージュです。

カメラマン
PhotoLeGe
小栗啓吾

病院の介護士として勤務しながら『介護写真家』として撮影を行なっている。 イキイキとした介護士の表情を写真に切り取ることで、介護現場での心の触れ合いを多くの人に知ってもらうことを目的に様々な活動をしている。また、出張で遺影撮影をしながら介護・終活相談も行なっている。

スタイリスト
JIBUN STYLE LABO代表
古屋ヨウコ

人を笑顔に輝かせることをミッションに、他人との比較ではなく、自分らしさを大切にした『JIBUN STYLE』にこだわり『最高に輝くJIBUN/自分』を装いで表現するスタイリングアドバイスをはじめ、個人や企業、店舗の価値を高めるプロデュース、ブランディングサポート事業等、活動のフィールドを広げている。

ヘアメイク
綺羅化粧品浜松
野田健

パウダーメイクの機能性に感動して、板前から綺羅化粧品へ転職。現在はメイクアップ&小顔エステ小顔エステトレーナーを担当。「人を綺麗に見せる」を信念に日々技術に磨きをかけている。

5月25日

第2回 「KATSUKOの80’S」…朗らかな笑顔に満ちた人生。

梶野加津子さんは、昭和13年(1938年)5月生まれ。「生まれも育ちも浜松です。子ども時代は友だちと会うのが楽しみで、学校に行くのが毎日うれしくてたまらなかったの。おかしな子でしょ?」と朗らかに語ります。昭和32年(1957年)に高校を卒業後、染色関係の会社に就職。浜松市野口町にある事務所に通勤するようになりました。そこで後々、人生のパートナーと出会うことになります。

 

当時の青年たちは、地元の中学校の卒業生が集まって「青年学級」と呼ばれるサークル活動を行っていました。加津子さんも就職してから母校の与進中学校の青年学級によく参加していました。与進中の校舎を借りて演劇やコーラス、合気道などが活発に行われていたそうです。「あの頃は文学座の演劇が流行っていて、私も高校時代に文学座の『父帰る』の公演を観たことがあったの。演劇に興味を持ったのは、その頃からかな。でも、女優さんとかじゃなくて、小道具とか舞台美術みたいな裏方の仕事をやってみたかったの」と加津子さん。青年学級の演劇では、裏方ではなく女優さんとしてしっかりと表舞台に立ちました。

加津子さん 演劇仲間と

就職して5年目の秋、会社の先輩の弟さんが事務所の2階に住むようになりました。それが未来の人生のパートナー・完治さんです。加津子さんに当時の完治さんの印象をうかがうと、「体が細くて、いつも眉間に皺を寄せていて、神経質そうな人だなぁって思いました。今でも神経質だけど(笑)…ね?」と、ご主人の顔を覗き込みながら茶目っ気たっぷりに答えてくれました。

 

加津子さんの印象通り、完治さんは、当時身長が176cm、体重が48kgという超スレンダーな体格で、しかも、神経質が災いしてか胃潰瘍を患い、実家に近い尼崎市の病院に入院したことがありました。それが昭和40年(1964年)1月のこと。入院で有給休暇を使い果たしてしまったので、同年10月の挙式後、新婚旅行は披露宴に出席した友人たちと舘山寺へ一泊だけだったのが残念でした。

結婚式

誓いの詞

完治さんとのお付き合いは、「1対1というよりも、仲間と一緒にワイワイ遊んでいた印象が強いです」と語る加津子さん。それから自然と2人の距離が縮まり、結婚に至りました。そして昭和40年(1965年)10月3日、2人は晴れてゴールイン。浜松市民会館の会議室を借りて結婚式を挙げました。招待客の皆さんがご祝儀などに気を遣わなくてもいいように、披露宴は1人700円の会費制に。会場の装飾も手作りで、アットホームな雰囲気の中、人前スタイルで式が行われました。そのときに2人がみんなの前で述べた宣誓書を、今でも大切にとってあります。

 

結婚後は、治久さんと和之さんという2人のお子さんを授かり、加津子さんは子育てをしながらパート勤めをしました。完治さんは仕事が忙しく、毎晩帰りが遅い日が続きます。子どもたちは普段お父さんと一緒に過ごす時間をあまり持てませんでしたが、毎年夏休みになると完治さんの故郷の淡路島に家族で帰省し、海水浴やスイカ割りをしたりして、バカンスをのんびり過ごしました。そして2人の息子さんたちは、仕事や共産党員としての活動に日々精力的に取り組む父親の姿に尊敬の念を抱きつつ、母親のおおらかな笑顔に包まれて、すこやかに成長していきました。

 

淡路島にて 治久さんとスリーショット

加津子さんには、子育てをしていた頃から始めた趣味があります。それは、「機織り」。始めたきっかけは、昔から着物が好きで、絣(かすり)を織ってみたいと思ったからです。子どもが学校から帰ってくるまでの3~4時間が加津子さんの自分時間。トントンカラリと機織りをしていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。当時は反物を織ることもあり、綿織物だと1反仕上げるに約1ヶ月かかったそうです。ここ数年は「裂き織り」が気に入り、コースターなどの小物を作ってきました。「裂き織りは、浴衣とかの綿の古着を細かく裂いて、横糸として使うの。だから『裂き織り』っていうのよ。綿はね、洗えば洗うほど柔らかくなるの。だから裂き織りは肌触りがすごく良いのよ。古着を使うからリサイクルにもなるし、色合わせを考えるのも楽しいの」と嬉しそうに笑みを浮かべます。

 

「行動することが生きることである」という小説家の宇野千代さんの言葉が好きだという加津子さん。ご主人を支え、お子さん2人を立派に育てあげてきた一方で、趣味の時間を楽しみながら、自分らしさを忘れずに歩んできた加津子さんの人生は、まさに宇野千代さんの言葉そのもののように感じます。

(次回へ続く)