いつか、我が家にもやってくる「介護」という時間。
体験してみないとなかなか実感を持てないけれど、
どんな様子なのか知りたくないですか?
介護のカタチは十人十色。
家族の状況やその時の選択によっても
いろいろな道があることを知り、
自分と似たケースから学ベる
介護の事例集をお届けします。

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2019.6.22

第6話 両親と叔母夫婦をまとめて介護・Tさんの場合

【ご家族構成】

現在は夫との二人暮らし。叔母夫婦と両親の4人の介護を経験した。静岡市でフラワーショップ、多目的ホール、2軒の小規模デイサービス、居宅支援事業所を運営する。

 

Tさん介護奮闘シーン

 

 

本格的な介護はいつから始まったのですか?

 

平成16年に叔母が倒れました。叔父と叔母(母の妹夫婦)には子供がいなくて、私の自宅から2軒隣の中古(物件)を買って、二人にはそこに住んでもらいました。スープの冷めない距離。それで、次の年の平成17年に母が倒れたんです。

 

じゃあ、本当に同時期ぐらい。

 

同時進行でした。

叔母さまが倒れられて、叔父さまはその時お元気だったんですか。

元気で動けたけれど、年でしたから。81か82ぐらいですね。叔母は78ぐらいだったと思います。それまで身の回りのことは叔母がやってたので、ご飯の支度も何もできないという、昔ながらの男の人。私の母は83ぐらいで倒れたのかな。で、車椅子2人ね。叔母と母は膠原病(こうげんびょう)だったので、歩けなくなっちゃって。

 

一番苦労したのは、どんなことでしたか?

 

一番苦労したのは、ご飯。父と主人と叔父のご飯。あと、身の回りのことですね。何にもできないですよ、男の人、昔の人は。だから、母と叔母が県立病院の同じ部屋に入院して、私が真ん中にベッドで付き添ってという時もありました。夜にシャワー浴びに帰ってきて、みんなのご飯を作って、お弁当に詰めて。

 

それを、毎日ですか?

 

休みないです。でも介護家族って、やめる選択肢がないんです。 入院してるならまだ安心で、退院した後は自宅でベッドの生活なのでもう離れられないんですね、家から出掛けられない。 叔母夫婦は2軒隣で近いからまだいいんですけど、両親は静岡市の沓谷(くつのや)というところに住んでいて。通い切れないんですよね。 花屋の仕事なんてとてもできなくて。オムツも替えてあげなきゃいけない、食べることもしてあげなきゃいけない、頭の中が介護でいっぱいになっちゃって。自分もフラフラしながら走り回って。でも、1日でも長くね、自分のお家の天井を見ながら過ごしてもらうのが自分の使命かなと思って。4人とも施設には入れなかったんです。最後の3日間とかは病院で過ごしましたけど、もう本当に誰一人施設には入れなかった。

 

退院後はそれぞれのご自宅で過ごすわけですよね、そうすると……。

 

通い切れないから家を全部リフォームして、父と母に「一緒に住もう」と言って、1カ所にまとめました。

 

お父さまとお母さまを呼び寄せて、自宅でお母さまを看(み)て。2軒隣の叔母さまを看(み)にまた出掛けていくという。

 

はい、そうです。

 

それを何年間ぐらい続けたのですか?

 

10年。最後に父を送りました。だから、お葬式ばっかりでした。お葬式、年忌、お葬式。

 

法事がついてきますものね。

 

4人の介護では、命にかかわる状態の人に付き添ってあげたいので、優先順位を決めていました。ヘルパーさんに頼めば何とかなる人たちは訪問介護、お風呂も私が入れてあげる時間がなかったら入浴サービスとか、フルに使いました。その時に一番助けられたのがやっぱりケアマネさんとか施設の方たち。親身になって支えてくれたんです。「利用者さんよりもご家族のことが心配なので」と電話をくれて、「大丈夫ですか、何かあったら言ってくださいね」って。こういうのが福祉の仕事なんだなと初めて知ったの。こういう人たちがいるから自宅で一緒にいる時間が持てるんだって。看取りのときは集中できるように病院で看取りましたけれど、最後まで家に一緒にいられたから、やり切ったかなって。

 

すごいですね。普通はなかなかそこまで、4人はちょっと手に負えないなって思います。

 

でも、心がね、折れたのは最後の1人。父が97で亡くなったんですけど、1人になったとき話し相手がいないんですよ。話し相手がなくて、最終的には独りで頑張らなくちゃいけなかった。なんかこう体の疲れより心の疲れがすごかったの。だから、介護ってこれがみんな大変なんだってことが最後になって分かった。

 

話し相手がいないとか、共有できないと、そこがつらくなってしまうポイントですね。

 

そう。介護はそこなんだ。それを癒してくれたのが介護職の人だったし、父が笑顔になるのも、そういう人たちが声を掛けてくれたり、デイサービスから帰って来てその日の話をしてくれることで、介護家族も元気になれる。 だったら介護施設をつくろうと思って。親孝行の続きをやってみようと思って、小規模デイサービスをつくったんです。1軒目をつくった翌年に叔父も叔母も亡くなり、父も近くに通うほうがいいとなり、二人(叔父と叔母)が住んでいた2軒隣の家をリフォームしてデイサービス施設にしました。12月に1つ目をつくって、次の年の9月に2つ目です。

 

1年も経たないうちにデイサービス施設を2軒つくってしまったのですね?

 

経たないです。無茶ですよ。無茶苦茶です、やることは。ご飯を作ってみんなで一緒に食べるのが好きなんです。ちゃぶ台を囲んで、みんなでご飯を食べるっていうのが、私の母が私たちにしてくれてたことなんです。友達呼びなさいとか。だから、親のやったことを真似てるだけで、大層なことじゃないんです。花屋さんを開いた時も、素人じゃ3ヵ月も持たないと言われました。でも、おかげさまで20数年成り立ってる。だから世の中のルールは本来それが正解とは限らないと思って。あんまり人に意見とか聞かないんですよ。やりたかったら自分で前に進めばいいし、ちょっとおかしいなと思ったら立ち止まればいい。

 

Tさん未来の夢を描くイメージ

 

それでね、私は最後に何をしたいかっていうと、みんなで生きることをもう一度思い出したくて、それでモービルホームなんです。大きなコンテナの土台の上にツーバイフォーの木造住宅が乗ってるんです。木造の家。

 

移動できるってことですか。

 

できます。引っ張っていくので牽引です。そこ自宅なんですよ。駐車場にお家を置くって感じ。だから、固定資産税いらないんですよ。   なぜこんなこと考えているかというと、独居の方がいっぱいいるんですよ、今。大きなお家に一人ぼっち。でもね、6畳一間と玄関、あとはトイレと寝る所があればいいんですよ。それに、トレーラーハウスってもっと広いんです。そこに住んでもらって、ちょっと体が不自由になったなと思ったら、私がお風呂と食堂のある施設を作るので、そこに車ごと、お家ごと来てください。

 

斬新ですね!

 

広い空き地あります。真ん中に食堂とお風呂を作ります。ステーションなのでトレーラーが入ってきます、お家ごとね。犬や猫とか一緒に来ていいんですよ。そこでジョイントしてデッキでつなげます。それを作ってやるぞと。土地とスポンサーはきっと現れる。身近な友達や近所の人、みんなが集まって共有スペースで疑似家族。それを自分の最後の夢にしています。 今、最後はみんな施設に入っちゃうじゃないですか。入った途端、2週間もしないうちに家を売られて、どこにも何にも自分の物がなくなっちゃう。それよりも、最初からそういう所を作っちゃう。自分たちで最期まで、人としてちゃんと生きる。介護はみんなに経験してほしい。やれた人はラッキーだと思うの。介護体験は宝物だもん。

 

どの辺りでそういう「やらせてもらっている」という気持ちが芽生えたのでしょうか?

 

最初の1人を送った後に。最初は叔母が倒れたんですけど、叔父がはじめに亡くなっちゃった。肺炎で倒れて、入院して、車椅子の叔母を連れて病院に通いました。その時、自分の体が悪いのに、すごく夫婦っていうか、そういう姿を見せてもらったのね。その時、初めてオムツを、叔父のオムツを替えたのね。オムツ替えを体験して、介護ってこうなんだって。助けてもらわないとできない時期がくるんだって。

そう思ったのが最初の体験で、それで叔父と叔母のやりとりを見て、何もできないけど叔母が行くとやっぱり喜ぶし、そばにいるってことの大切さ、寄り添うことの大切さは、そこからですね。何かができるとか、できないとかじゃなくて、「大丈夫、独りじゃないよ」「いつもいるからね」って。これが人としての生き方なんだなっていうのを見てから、私も出来る限りそばにいてあげたいと思って。オムツ替えたり、間に合わなくて、うんち手のひらにされちゃう時もあったけど、そういう身体的介護はね、何にも苦痛じゃない。不思議なの。つらくないの。ただ、出来ていたことが出来なくなっていく寂しさとか、そういうことがつらかっただけ。うんちしようがおしっこしようが、何しようがそれはもう元気な証拠だから。生きてる証なのね、それは。

 

自然なことだから。

 

そう。ただ「ごめんね」「悪いね」とか、「情けない」とか、「もう死んじゃいたいよ」とか、そういうのを聞くのはつらい。そんなことよりも、「ありがとう」でいいじゃん。つらいけど、これは介護をさせてもらったから気付けたことで、遠くから見てるだけでは分からないなって。時には自分の中でも耐えられなくなって、主人に電話で「私は天使になれない」って叫んだこともありましたけど。もともと天使になろうなんて思ってないし、それなのに自分は頑張り過ぎちゃったときがあって。そういうときに、夜、ここ(花屋)の電気付けて、音楽流して床に座って瞑想して、そこで花に助けられて、「よし、また頑張るぞ」みたいな感じで。花にも助けられたし、人にも助けられたし、もうそれこそ父や母たち、叔父や叔母たちにも私は助けられた。だから、もういっぱいもらってきましたね。

 

お父様の歓談シーン

 

4人を見送るって、実際どういうものなのだろうと思います。

 

叔父が最初に亡くなりましたが、叔父には叔母がいたから、私はその叔母の後ろにいるみたいな形でした。でも、叔母が亡くなる時はもう叔父がいないので、私しかいない。母も父も高齢だったため、叔父以外の3人にとっては、支えてあげられるのは私だけだったんです。 最後の1ヵ月間って、だいたい分かるんですよ、あともうちょっとかなっていう感じが。それで、最後の1ヵ月間をどっぷりいてあげようって思ったの。自分が倒れてもいいから、この人のそばにいて話をいっぱいしようって決めたんです。だから、入院している病院に毎日行きました。洗濯とかお金出せば(病院で)してくれるんだけど、私ね、それが嫌だったの。お洗濯があるから行くじゃないですか。で、おやつこれ食べたいっていうから、私が買ってあげられる。「悪いからいいよ」って叔母が何回も言いました。でもね、それがなくなったら私、来られなくなっちゃうから。もう絶対に独りぼっちにさせたくなかった。独りぼっちの寂しさってどんな寂しさよりもつらいと思う。それでなくても入院するのって寂しいじゃないですか。叔母は壊疽(えそ)になって尿毒症みたいなのも起きちゃって、「大変だからもういいよ。体がえらいから」って、最期は痛み止めの緩和治療で眠るように逝きました。母と父のときは「ありがとうね」って言ってましたね。昔だったら多分老衰なんだと思います。機能不全っていうか、多臓器不全なので。寿命かなって。使い切ったんだなって、そんなふうに考えます。だから、1人も延命治療はしなかった。緩和治療で、もうそうしてくださいってお願いして。

 

そういったことは事前にお話し合いとか、本人の希望を聞いていたりしましたか。

 

うん。もう年も年だったので、長くもったとしても眠っている時間が長くなるだけで、つらい思いをするのが長くなるだけだから、もういいよって言っていました。自分もそう思います。70過ぎたらいいかなって思いますよ。もうそんなにいっぱい手を加えてくれなくてもね。もう十分、お釣りの人生だなって思います。

 

ケアマネさんとの相談ではどのようにサービスを増やしていったのでしょうか。

 

最初は手すりとか。デイサービスに行くことが目的じゃなくて、家の中で安全に暮らすにはどうしたら良いか、というのが最初。私がいない時はヘルパーさんを頼みたいとか。そのうち、家の中に2人だけでいるんじゃ楽しくないねって。叔母たちは近所の人たちと顔馴染みでしたけど、父と母は具合が悪くなって引っ越して来たので、近所にお友達がいなくて。だったら「デイサービスに行ってお友達ができるといいね」とケアマネさんにお願いして1週間に1回お出掛け。それを2回、3回と増やしていって。

 

それは2人そろって出掛けていくのですか。

 

どこに行くにも2人そろって。母がリハビリ病院に入院すると、父も自分だけでは母の顔を見に行けないので、一緒に泊まりたいって言って。2人部屋にしてもらって、お泊りしてました。

 

仲が良いですね。夫婦の絆って結構大事ですね。

 

大事。最後は1人になっちゃいますけどね。でも、いざっていう時に「すごいな、夫婦って」と思いました。

 

デイサービスっていろいろあると思うんですけど、機能訓練みたいな、体をちょっと動かすようなものとか。

 

昔はね、機能訓練とかではなくて、ゲームの中で体操をやってくれたり。介護もすごく変わってきたんですよね。昔は送迎にしても、資格がなくても家まで入って来れたんですけど、今は駄目じゃないですか。資格がない人は玄関までとか。身体介護は駄目とか。ヘルパーさんもその本人の身体介護はできるけど、家の掃除は駄目だとかね。規制が増えてきちゃって、以前のほうが人間らしいやりとりがあったんですけど、今はそうじゃないんです。

 

いろいろ役割分担が細分化されているということですか?

 

そうそう。私たちがお世話になった時はまだそれでもプラスアルファの事をしてくれる人たちが多かったので、大変救われました。 私がお店で忙しいときは、ヘルパーの資格を持つ家政婦さんに助けられました。派遣事業もやろうかなって思ったくらい。家政婦さんは家族のご飯の支度もしてくれるし、お家のお掃除もしてくれるし、ヘルパーの資格があるから身体介護もできるし。その方は72歳でしたけど、すごい救われた。ショートに行かない日は、家で両親たちの話し相手にもなってくれるし。

だから、ヘルパー(の資格を)持っている家政婦さんは世の中の役に立つと。それやりたいと思って、一応、派遣事業主の試験を受けて、資格だけは取りました。みんな知らないんですよね。家政婦とヘルパーの違いとか、家政婦さんがどんなに役に立つかとか。

 

ヘルパーさんだと介護の対象になってる人のためにだけやるっていう感じですけど、家政婦さんは家族のために家事をしてくれる。それは大きいですよね。

 

これからの仕事としてすごく必要なんじゃないかな。介護も生活の一部で、特別な事じゃない。お願いだから、みんなすぐに諦めて施設に入れないで、粘ろうよと。困らせればいいんですよ、若い人を。絶対成長できるから。命をかけて親が何をするかって言ったら、子供たちを育てることだと思います。子供たちに楽をさせちゃいけないなと。

昔は戦争があって選択肢がなかったから、みんな貧しかった。物もないし、お金もないし。命にも限りがあることを嫌というほど知っていた。毎日ギリギリのところで生きていた。今はそういう刺激がなくて、大事なことが分からなくなっていると思うんですよ。

施設に入っててもいいけど、行ってほしいの。行くのは介護している人で、家族は行かなくなっちゃう、みんな。安心とか言って。それやめてって。行って、見届けてあげて、人生を。

 

何もできないとしても、そばにいるだけで安心する。それが家族の役割なんでしょうね

 

預かる施設側も、「必ず来ること。約束ですよ。だったら引き受けてあげますよ」みたいに、家族にも宿題をあげないと。家族が楽をするためじゃなく、「怪我とか、身の安全を確保するために、仮の住まいとしてお預かりするけれど、心のケアまでは出来ません」くらいに言っちゃっていいんだよ。

 

怖がってる場合じゃないぞって感じですね。

 

ないない。学校の勉強を嫌々しているよりよっぽど勉強になる。だって、命とずっと触れ合っていくんだもん。こちらがしてあげた事以上のギフトが来る。そう考えると、ありがたいなって思うんです。

 

ただ母親に会いに行く。それだけでもいいのですね。

 

いいの、いいの。