いつか、我が家にもやってくる「介護」という時間。
体験してみないとなかなか実感を持てないけれど、
どんな様子なのか知りたくないですか?
介護のカタチは十人十色。
家族の状況やその時の選択によっても
いろいろな道があることを知り、
自分と似たケースから学ベる
介護の事例集をお届けします。

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2019.1.12

第4話 寝たきり介護と育児のWケア・Mさんの場合

【ご家族構成】

 

夫、妻(Mさん)、2人の子どもたち(小学3年生と年長さん)との4人暮らし。Mさんの母親が要介護者で、現在は介護老人福祉施設に入居する。3年前まで9年間にわたりMさんが在宅介護し、そのうち6年は育児も重なってのダブルケアを経験した。

 

 

 

Mさんが介護を始めることになったいきさつを教えてください。

 要介護度4の母は72歳、今は施設に入居中です。介護が必要になって10年以上が経ちました。  両親は私が二十歳(はたち)くらいの頃に熟年離婚していて、自分は一人っ子で43歳。私も夫も東京生まれの東京育ちです。ですから今住んでいるこの街には親戚も、古くからの友人もいません。お互いそれぞれ転職でこちらに来て知り合い、私が29歳の時に職場結婚。大手企業で製品を輸出する貿易実務に携わっていました。  仕事は面白くてやりがいを感じていました。子供については授かったら産休を取って一定期間は育児に専念しよう、親の介護をするにしても自分がもっとおばさんになって、子どもに手が掛からなくなった頃だろうと普通の青写真を描いていました。  けれど、結婚して丸1年。そろそろ子供をと思った矢先に母が倒れました。細菌性髄膜炎という感染症にかかりまして。当時、母は都内の実家でひとり暮らしをしていてまだ60歳でした。   母が病院に運ばれたのは意識を失ってから2~3日後。医師からは「状態は非常に悪く、そのまま亡くなる可能性が高い。命をとりとめても健康で戻ることはほとんどない」と告げられました。  その後、集中治療室で2カ月のあいだ意識不明に。なんとか一命をとりとめましたが、そこは急性期の病院で意識が回復したらすぐに転院しなければなりません。都内の病院に転院させても面倒をみられませんから、民間救急車を手配してまず磐田の病院へ入り、次に藤枝のリハビリ病院へ転院させました。  それから週に3日、着替えやタオルの取り替えに病院へ通いながら、今後どうするかを考えました。母が倒れたのが2006年6月。在宅介護を始めたのが2007年4月。約10カ月の短い期間で様々な事を決めなければなりませんでした。その間に仕事もしながらで、現実感がなかったですね。

最初から施設にとは考えなかったのですか。

 認知症はないけれど両下肢麻痺。支えがあっても立てない、排便はおむつ、褥瘡(じょくそう)を悪化させないように夜間も2時間おきに体位変換が必要という、いわゆる全介助の状態です。リハビリでの改善は期待できない。では施設に入れるのか、自分が自宅でみるのか。そこで初めて〝介護〟に直面しました。  「ひとりでの自宅介護は無茶だ。あなたはまだ若い。仕事もある。悪いこといわないから施設に入れなさい」と医者は言ってくれました。

 

 でも繰り返しになりますが母は当時60歳。体は不自由だけど、つい最近まで元気でいて、意思疎通も普通にできる。そんな母親を施設に入れて娘として後悔しないかなと思っちゃったんですよね。まだ私自身が老人ホームに対する抵抗感があったというか、誤解していたというか。施設について知らないので偏見や先入観を持っていたんです。

 

 主人に自分の考えを伝え、相談しました。

 そうしたら「申し訳ないけれど身体的な介助では戦力になれない。僕の世話を受けるお義母さんもつらいだろう。恥ずかしさもあるし葛藤がある。家事のことは受け入れる。やれることは全部やる。だけど身体的介護はあなたひとりの負担になることは間違いない。それでもやりたいのなら、やれるとこまでやってみてもいいんじゃないか」と言われたんですね。

 てっきり自宅介護には反対されると思っていました。結婚2年目の話です。後でそのこたえの理由を「自分たちが週末に遊びに出掛けても、フッとお義母さんのことが頭をよぎる気がする。施設のお義母さんのことを考えて休日に楽しめないかもしれないと思った」と聞きました。

 

……じゃあ、やってみるか。そこから家探しですね。母の入院中にチラシで見かけた築10年の中古の家を即決で買いバリアフリーにリフォームしました。  母には特に相談しませんでした。母も自分からは何も言わなかった。母は楽天的な性格で、あるがままを受け入れていくタイプ。「介護を試しにやらせてみて」と伝えると「私はあなたと生活できるならうれしい」とのこたえでした。

 それが12年前、私が31歳の時。以来、母を引き受けて3年前まで在宅介護をしていました。

 

 

 

会社勤めをしながらの介護生活が始まったのですね。

 ケアマネさんと介護サービスを相談して、月~金はデイケアに送迎で通ってもらい、その間に私は会社に行って、夕方から朝までは自分で介護。週末だけは1~2泊のショートステイを併用してやっていました。

 でも、しんどくてね(笑)、体が。

 

 夜は携帯電話のアラームを12時、3時、5時か6時……そんな感じでかけて、朝になったら(母をデイケアに)送り出して会社に行く。それでも仕事は続けていましたが、あるとき通勤途中に「あ、ダメだな。先に私死ぬ」ってちょっと思ったんですよね。それで半年後ですかね、退職しました。

 

 そうしたら今度は緊張の糸がプツンと切れまして。うつっぽくなっていたと今になって思います。なにしろ外に出たくない、人と話したくない、介護のこと以外できない。仕事を辞めて数カ月ほどは気分転換ができず鬱々としていました。母をデイケアに預ける日の日中は少し体が楽になったのですが、生活が介護一色になったのがしんどかったのかな。

 

 それで思ったんですよね。

「あ、このままでもダメだ。変えなきゃ。子ども産もう」  介護が仕事になっちゃって、それに耐えられなくなったというか。母のためだけに生きてる自分、それは良くないなと思って。そのとき私は33歳近く。介護のために子どもを諦めてしまうのではとお姑さんも心配してくれていました。

 そのころには介護にも慣れてきていました。着替えも、おむつ交換も、体位変換もだいぶ手早くできるようになり、新米介護士さんより上手なくらいでした。余裕が少しできたんですよね。

 

 そこで主人と相談したら、ありがたいことにすぐに授かりまして。今度は妊婦の身で介護(笑)。妊娠8カ月になるまで介護して、ショートステイを連続で入れてもらったり、お産の前後は母に入院してもらったりして乗り切りました。そうして無事第一子が産まれ、その3年後には第二子を出産。今度は介護と育児とが同時並行のダブルケアです。

 

 

 

今度は介護と子育ての生活。

 

 介護や育児では予想を裏切ることが次々と起こります。それまで仕事で培ったスキルは全く役に立たないんですよね。しなければいけないことが出来てないという罪悪感と、自分は何もうまくできないという無力感。起こった事への対処にただ追われて、母と子どもを生かすだけで精一杯。今日も3人、誰も怪我しなかったことにホッとする毎日でした。

 

 すべて完璧にこなすのはとてもじゃないけれど無理。母のアテントを換えてる間にこっちでメリーズにもらしてる子がいる、というあわただしさ(笑)。カテーテルが詰まりやすく、産まれたばかりの子を抱えて週イチで病院に連れていくのも相当ストレスでした。おもちゃの片付け、洗い物、食事の世話……余裕がなくて家の中はメチャクチャ、ものすごい惨状。常に壁にぶち当たっている感じでしたね。

 子どもは当然泣いたりするけれど、母は母で時間を譲らないんですよ。忙しいときに呼びつけられたりして。介護される方も慣れてしまうのですね。ずうずうしくなるというか。

 本来なら母に育児を手伝ってもらえたかもしれないのに。「ふざけんな、死んじまえ!」って。母に対する憎しみが生まれてしまうのです。首締めたろかと何度リアルに思ったことか。

 実の母にはどうしても期待してしまうところがあって。母親なのだから私のことを助けてよ、と。これがお姑さんだったらまた違ったかもしれません。家の中は罵声が飛び交っていました。よく通報されなかったと思います。

 

 私が介護と育児の両方を始めた12年前はダブルケアいう言葉自体がまずなくて、インターネット上を探しても情報は少ない時代でした。30代で介護を経験している同世代を見つけることは特に難しく、悩みを共有できないことはやっぱりさみしかったですね。

 終わりが見えない介護。どうして自分ばかりがという思い。それを吐き出す場もない。誰かに話してもピンときてもらえず「大変そうだね」で終わってしまう。孤立感が深まってしまうのです。

 途中からは、苦労や母への悪口をネタにして、笑いに変えて吐き出すようにしていました。心の中は真っ暗なのに、ママ友とかに「よくやってるねー」と言ってもらえるだけで少し救われた気がして。

 母を殺しちゃうんじゃないかと思うことさえありました。よく思いとどまれていたな、当時はそのくらい追い詰められていたのだなと、いま振り返って思います。

 

施設に入所するきっかけについて教えてください。

 

 ある日、主人がいつもより早く夜8時に帰ってきて、私が子どもの前で母に怒鳴っている様子を目の当たりにしたのです。そのときは娘を抱っこして2階に逃げてくれ、あとで話になりました。

 

「いつもあそこまでなっちゃうんか」

「いつもじゃないけど、結構なってる」

「子どもには罪はないよ」「子どもにしてみれば地獄だぞ」

 

 それまで一切を流してくれていた主人から「子どもの前で怒鳴るな」と初めて非難されたのです。正論ですよね。でも、その時は私のしてきたことが否定されたと感じてしまいました。「ああ、夫にも分かってもらえないんだ」。もう一歩も無理だ。死んじゃいたい。家出する? 離婚の文字も頭の中をグルグルと回る状態。

 けれど次の日には心の整理がつきました。それまでだましだましやってきたけれど、もうだませないとこまで来てしまった。諦めなきゃいけないのはどっち? 捨てるのは、母だな。自分でつくった家庭を捨てちゃいかんな、と。

 でもそれですぐ母を施設に預けたわけではなく、なんだかんだでその後4~5年は在宅介護を続けました。ショートステイでお世話になっていた介護老人福祉施設の相談員の方に話をしたら「入所はいつになるか分からないけれど保険のつもりで申し込みだけしてください」と言われ、それ以後は介護サービスを目一杯使いながらの生活でした。

 それからは気持ちが楽になりました。不思議ですね。相変わらず怒鳴ったりしながらのダブルケア生活でしたが、私が育児と介護で追い詰められて殺しかけても、母が逃げられる避難場所ができたと思ったのです。

 本格的に施設に入所したのは3年前。ショートステイの最中に大腿骨を折っちゃったんです。寝たきりだから骨粗鬆症が進んで折れやすくなっていて。骨がスッカスカで手術を繰り返しても全然くっつかない。整形外科医もお手上げで今もブランブランなんです。「最低2人、できれば3人で注意して介助せよ」という主治医の意見がありまして、私ひとりの在宅介護では無理ということで入所が決定的になりました。

 在宅介護の期間は9年間でした。

 

ダブルケアをする上でのポイントは何でしょうか。

 

 ダブルケアは育児が主体であるべきだと思います。でもダブルケアに対する育児のサービスってないんですよね。

 保育園の入園の基準として、自宅で介護をしていても申し込みはできるらしいのですが、フルタイムで働いているママと比べると優先順位は低くなります。でも運が良ければ入れるかもしれない。そうなれば日中の数時間は育児からも介護からも一瞬離れられる時間ができる。全然違いますよね。

 結果的に、子どもを産んでからは母がショートステイに行っても休めないんですよ(笑)。昼間はちびっ子がいる、夜泣きはする、夜間授乳はある……。母がいなくても1~2時間で起こされるのは変わらないわけです。だからダブルケアの6年間は3時間以上まとめて寝たことがなかったです。

 

 結局最後に行き着いたのは民間の一時保育。時間単位で預けられるんです。上の子の幼稚園の行事が思ったより多くて、生後半年くらいの下の子を連れて参加するのは厳しい場面が結構あったんですよね。ほかの家はみてくれるおばあちゃんがいても、うちは看なきゃいけないおばあちゃんしかいない。どうしよう、となってママ友に教えてもらいました。

 そのときに身の上を保育士さんに話したら「介護やってんの!? 子ども預けていいよ!」と言ってもらえて。途中からはそういうサービスも併用していました。介護も育児も情報は大切。特に介護サービスは使い倒していかないと。ダブルケアは子どもの成長でどんどん状況が変わっていくわけですから、柔軟にサービスを取捨選択していくことが重要だと思います。うちもいろいろ試して体力的には少し余裕を持てるようになりました。

 

 あと声を大にして言いたいのは、睡眠が大切ということ。介護をしてなくても育児ノイローゼになってしまうお母さんは多いと思う。睡眠が足りていないと怒りっぽくなって子どもに優しくできなくなってしまう。無理にでも介護や育児から離れる時間をつくることも必要だと思います。

 

9年間の在宅介護生活を振り返ってみて、いかがですか。

 

 母を持つ子として、また同時に子を持つ母として、葛藤の日々でした。子どもへの感情は複雑で、申し訳なく思う気持ちもいまだにあります。幼い子の目の前で鬼になって母に感情をぶつけてしまっていた。かわいそうなことしたな、十分に愛情や時間を注いであげられなかったと思います。

 

 ちょっとした言葉にも傷付きました。特に育児に関しては。

「頑張らない介護」「頑張らない育児」ってフレーズをたまに耳にするけれど、それって無理。本当は頑張らなきゃできないことなんだから。もともと無茶なことやってるんですよ。周囲はぬるいくらいの目で見守ってあげてほしい。雑なくらいのおおらかさで接してもらった方が気が楽になる、かな。

 爪が伸びていたって死にゃへんよ、と思えるようになったのはここ1~2年のこと。母が施設に入ってからでした。入所してからの方が優しく接してあげられています。

 

 私はうっかり在宅介護を選んじゃったけど、大事なのは最後に行き詰まったときに一体何を諦めるかをはっきりさせておくこと。育児は時間とともに手が掛からなくなっていくけれど、介護はその逆です。いま頑張っている人は自分の人生も大事にしてほしい。親もそれを望んでいると思います。(介護を)やりたいと思ったらやってみて、でも無理と思ったら手放すことも大切だと思います。